歴史から見る日本の風水 【四神相応】

四神相応と風水 風水の基本

四神相応について

四神相応(しじんそうおう)とは、中国の伝統的な風水の理論の一つで、風水の基本概念の一つです。四神相応には、四つの方位(東、南、西、北)にそれぞれ対応する四つの神があり、それぞれの神は、特定の要素、色、季節、部位などに関連しています。

四神相応の四つの神は以下の通りです。

青龍(せいりゅう)- 東

青龍は、東方を守護する神であり、風水の中で最も重要な神の一つとされます。青龍は木の要素、春季、東方の部位に関連しています。青色や緑色の色とも関連しており、東方に青や緑の家具を配置することで、青龍の気を集めることができます。

「青龍(せいりゅう)」は、中国の風水思想である「四神相応」の中で、東方の守護神とされています。木を司り、春季、東方の部位に関連しています。

「青龍」という名前は、青い体を持った龍という意味があります。古代中国では、龍は雨や水、農業の豊作をもたらす神として信仰されており、また、玄武、朱雀、白虎とともに「九宮」のうち、東方の「角宿(かくしゅく)宮」に位置することから、東方の気を司る神として扱われるようになりました。

「青龍」は、東方に位置する家や部屋の配置やデザインに大きな影響を与えます。東方に窓やドアを配置することで、朝日を取り入れ、明るい空間を作ることができます。また、木材を多く使った家具や装飾品を配置することが効果的だとされています。

さらに、東方には「華蓋星(かがいせい)」と呼ばれる邪気があり、これを払うために「竹」と呼ばれる植物を配置することが効果的だとされています。また、東方には青い色の植物や花を置くことが望ましいとされています。

「青龍」の気を受け取ることで、成長や活力、健康、安定などがもたらされるとされています。しかし、四神相応では、各方位のバランスが重要であるため、他の神々とのバランスを考慮しながら配置やデザインを行うことが大切です。

朱雀(すざく)- 南

朱雀は、南方を守護する神であり、火の要素、夏季、南方の部位に関連しています。赤色やオレンジ色の色とも関連しており、南方に赤やオレンジの家具を配置することで、朱雀の気を集めることができます。

「朱雀(すざく)」は、中国の風水思想である「四神相応」の中で、南方の守護神とされています。火を司り、夏季、南方の部位に関連しています。

「朱雀」という名前は、「朱色をした美しい鳥」という意味があります。古代中国の伝説では、瑞鳥とされ、吉祥のシンボルとされていました。また、玄武、青龍、白虎とともに、中国の伝統的な幾何学的配置である「九宮」のうち、南方の「廉貞宮(れんじんきゅう)」に位置し、五行説において「火」の属性を持つことから、南方の気を司る神として扱われるようになりました。

「朱雀」は、南方に位置する家や部屋の配置やデザインに大きな影響を与えます。南方に窓やドアを配置することで、陽気を取り入れ、明るく開放的な空間を作ることができます。また、南方に赤やオレンジ色の家具や装飾品を配置することも効果的とされています。

さらに、南方には「砂賊星」と呼ばれる邪気があり、これを払うために「砂利」と呼ばれる小石を敷くことが効果的だとされています。また、南方に置く植物には、多肉植物やサボテン、鉢植えのオレンジ色の花が適しているとされています。

「朱雀」の気を受け取ることで、生命力や情熱、繁栄、成功などがもたらされるとされています。しかし、四神相応では、各方位のバランスが重要であるため、他の神々とのバランスを考慮しながら配置やデザインを行うことが大切です。

白虎(びゃっこ)- 西

白虎は、西方を守護する神であり、金の要素、秋季、西方の部位に関連しています。白色や金色の色とも関連しており、西方に白や金の家具を配置することで、白虎の気を集めることができます。

「白虎(びゃっこ)」は、中国の風水思想である「四神相応」の中で、西方の守護神とされています。風を司り、秋季、西方の部位に関連しています。

「白虎」という名前は、白い虎の姿を象徴しており、勇猛果敢な力を表しています。古代中国では、白虎は西方の神として、陰陽や五行思想と結びつけられ、家や地のパワーポイントを守る存在として崇拝されていました。

「白虎」は、建物の外部や周辺の地形に影響を与えます。西側に高い建物や樹木があると、白虎のエネルギーを遮断し、悪影響をもたらすことがあるため、西側には開けた空間を設けることが望ましいとされています。また、建物の西側には高い壁や塀を建てることが良いとされています。

さらに、白虎は「化煞」と呼ばれる邪気を払う力を持っているとされ、白虎のシンボルである虎の像を置くことが効果的とされています。また、白色のもの、風を表すもの、秋季に咲く花などが、白虎のエネルギーを高めることができます。

「白虎」の気を受け取ることで、仕事運や富運、また、勇気や決断力などがもたらされるとされています。しかし、四神相応では、各方位のバランスが重要であるため、他の神々とのバランスを考慮しながら配置やデザインを行うことが大切です。

玄武(げんぶ)- 北

玄武は、北方を守護する神であり、水の要素、冬季、北方の部位に関連しています。黒色や青色の色とも関連しており、北方に黒や青の家具を配置することで、玄武の気を集めることができます。

四神相応の理論によれば、風水的に良い状態を作り出すためには、それぞれの方位に対応する神に関連した色や要素を取り入れ、バランスをとることが重要とされます。この理論を応用した風水を実践することで、より健康的で幸福な生活を送ることができるとされています。

「玄武(げんぶ)」は、中国の風水思想である「四神相応」の中で、北方の守護神とされています。地を司り、冬季、北方の部位に関連しています。

「玄武」という名前は、黒亀と蛇を組み合わせた形をしており、防御的な力を表しています。古代中国では、玄武は北方の神として、陰陽や五行思想と結びつけられ、家や地のパワーポイントを守る存在として崇拝されていました。

「玄武」は、家の外壁や塀、壁など、建物の外部に影響を与えます。北側に高い建物や樹木があると、玄武のエネルギーを遮断し、悪影響をもたらすことがあるため、北側には開けた空間を設けることが望ましいとされています。また、建物の北側には壁や塀を建てることが良いとされています。

さらに、玄武は「化煞」と呼ばれる邪気を払う力を持っているとされ、玄武のシンボルである黒亀を置くことが効果的とされています。黒いもの、水のシンボルである泉や滝、草木、冬季に咲く花などが、玄武のエネルギーを高めることができます。

「玄武」の気を受け取ることで、安定や安全、健康、長寿などがもたらされるとされています。しかし、四神相応では、各方位のバランスが重要であるため、他の神々とのバランスを考慮しながら配置やデザインを行うことが大切です。

※四神相応:ウィキペディア

四神相応の歴史

「四神相応」とは、中国の風水思想において、東南西北の四方位にそれぞれ対応する四つの神が、建物や地形に影響を与えるとされる考え方です。

この考え方は、紀元前2000年頃に遡る古代中国の儒家思想や道家思想に基づいています。当時の中国では、地形や風水が人間の運命や健康に大きな影響を与えると信じられていました。このため、人々は家や墓、城壁などを建設する際には、風水思想を重視しました。

四神相応の四つの神は以下の通りです。

  1. 青龍(チンロン)- 東方の神
  2. 白虎(ビャッコ)- 西方の神
  3. 朱雀(スザク)- 南方の神
  4. 玄武(ゲンブ)- 北方の神

それぞれの神は、五行思想に基づいて、木、火、土、金、水の五つの要素に対応しています。例えば、青龍は木に、白虎は金に、朱雀は火に、玄武は水に対応します。これらの要素は、それぞれの方位や季節、さらには人間の健康や運命に影響を与えるとされています。

風水思想は、中国を中心に広く受け継がれ、朝鮮半島や日本などにも伝わりました。また、中国の風水思想は、東南アジアやヨーロッパなどでも一部取り入れられています。

現代においても、四神相応は風水思想の中でも基本的な考え方の一つとして、建築やインテリアなどの分野において影響力を持っています。

四神相応について書かれた中国の書籍

中国の伝統的な書物の中で四神相応について詳しく触れているものとしては、「尚書・洪範」、「周易・系辞上」、「山海経」、「三命通会」、「通書」、「太極図説」、「黄帝宅経」、「經史紀年」、「大衍経」などが挙げられます。

「尚書・洪範」には、皇天が四象を持ち、四方の神獣がそれに対応するとの記述があります。また、「周易・系辞上」では、四象が天地の変化を司り、四方を治めるとされ、それに対応する四獣についても記されています。

「山海経」には、四神相応が現れる自然の風景や動植物などの詳細な描写があり、また「三命通会」では、四神相応の各方位における五行と八卦の関係が解説されています。

「通書」や「太極図説」では、四神相応が建築や都市計画にも応用されることが紹介されており、実践的な観点からの解説がなされています。

「黄帝宅経」は、風水に関する古典的な書物の一つで、四神相応の各方位における土地や建物の特性や風水の観点からの詳細な解説があります。

「經史紀年」には、四神相応の起源や意義についての歴史的な背景が記されており、「大衍経」では、四神相応を用いた数占いや暦法についての説明がされています。

中国の伝統的な風水の流派

太平洋に飛び込んだ龍

日本は、紀元前六世紀から三世紀にわたった弥生時代に大きな発展を見ます。それまでは狩猟や採集を中心とした生活でしたが、弥生時代に入ると稲作が始まり、食料を貯蔵し、青銅器や鉄 器、農業用具などを作るようになったのです。食料を貯蔵することは人口の増加や定住型の生活 をもたらしました。住居も竪穴式に代わって高床式が登場します。この時代に日本の農耕型の生活の基礎が誕生したのです。

弥生人は朝鮮半島からの渡来人だという説はかなり有力なものだといわれています。それ以前の縄文人に比べて身長が十センチほども高く、顔立ちも縄文人が彫りの深い顔であったのに対して、弥生人はいわゆる公家顔ののっぺりタイプです。稲作がどこからやってきたかに関してはさ まざまな説がありますが、そのひとつに中国から朝鮮半島を経て伝わったのではないか、というものがあります。もしそうならば、弥生時代の生活様式や文化は大陸渡来のものであったと考え ることができます。
その頃の中国はすでに戦国時代でした。『三国志』の背景もこの時代です。日本がようやく生活に先進技術を取り入れようというときに、中国には城を築き、土地や民を所有する封建制社会 があったのです。その先進の文化を取り入れたことで、日本はこの時期に飛躍的な発展をみたのだと考えられます。 大陸の生活様式や技術、文化を積極的に吸収しようとしていたのが、女王単知唹の統治する国家、邪馬台国です。

「魏志倭人伝」によると卑弥呼は魏へ数回にわたって遣いを送っています。本来の目的は魏の王朝より援助を得るためだったようですが、同時にさまざまな品物や文化を持ち帰ったのです。大陸からの物資や情報が、当時の日本に大きな影響を与えたことはいうまでもないでしょう。三世 紀から四世紀にかけての大和政権時代につくられた古墳も、そのひとつだと考えられます。中国 では秦の始皇帝の驪山陵も漢の武帝陵などもすでにひとつの時代を閉じ、また新たな戦国時代へと入る前兆の時だったのです。  そこでひとつの推論を提示してみたいと思います。  卑弥呼の送った使節団が持ち帰ったものの中に道教(老荘思想)があったのではないか。

道教は、紀元前から存在した思想に民間信仰や陰陽道などが混ざり合ってできたもので、易 ・陰陽・五行・星占いの考え方などはこの教えに含まれます。もともと呪術的な側面が強く、魔 除けや呪い、祈祷なども行いました。卑弥呼白身がシャーマン(巫女・まじない師)であったといわれるように、弥生時代の生活はまじないや占いが生活の中で重要な役割を果たしていました。 そうした基盤があったからこそ、道教の思想は大変受け入れられやすかったと考えることができるでしょう。  そしてこの当時、道教の教えの中に風水が存在したのではないでしょうか。  弥生時代は日本人が家を作った最初の時代です。また、生活様式の変化に伴い、人々は集団をつくって暮らすようになりました。つまり、「ムラ」などの集落の誕生です。集落をつくるには それなりの秩序が必要です。リーダーの住居はどこにするか、食料はどこに貯蔵するのか。家づくりや集落づくりにおいては経験も歴史も少ない弥生時代のこと、風水の教えはひとつのルールとして絶対的なパワーを発揮できたはずです。この時代に急速に住居や集落が発達したのも、風水の理論が普及していたためだと見ることもできます。

年月を重ね、小さな島国である日本は大陸文化を見事に受け継ぎ、独自の文化を生み出すまで に至りました。世界地図で見ると、中国大陸に沿って太平洋に飛び出したように連なる日本列島は、まるで大 陸が産み落とした子供のようにも見えます。  アジア全体の風水をみる場合、中央アジアの山脈は世界の尾根という異名をもつように8000メートル級の山々がそびえ立ち、その中でもチベットの崑崙山脈が一際美しくもあり、冷厳さも あり、まさしくアジアを代表する地龍といえます。  日本列島は富士山を頂点として、小さな地龍にたとえられます。まさに太平洋に飛び込んだ龍なのです。日本列島を龍とすれば京都の位置が龍の子宮、四国が愛児にたとえられます。ここに 興味深い史実があります。その四国の出身である松平家の子孫、徳川家康が龍の腹に当たる江戸、すなわち東京に都を開 き、徳川幕府三百年の礎を築いたのです。  この不思議な偶然の中に、風水の秘力をみることができます。

風水における「九星」とは?

風水は「地理」「造形」の基礎

風水でいう”よい土地”とは「四神相応」という原則にあてはまる場所のことを指します。 「四神」とは、青龍・白虎・朱雀・玄武という、中国に古くから伝わる聖獣のことをいい、それぞれが東西南北の守護神だとされています。これらが風水の地理観念に当てはめられているの です。

まず、龍脈を生むとされている北の山を指すのが「玄武」。玄武を背に西`(右側)に伸びる山脈は白虎、東(左側)の山脈を青龍と呼びます。そして龍の気を手前側から守るのが南側にそび える山の「朱雀」です。イメージしていただくと分かりやすいと思うのですが、玄武から流れる龍(気)を、それぞれ の山脈が包みこみ、大切な気がよそへ流れていかないような配置になっていることが理想的だと いうわけです。ちょっと想像してみただけでも、こうした地形は人が暮らしやすく、また精神的にものびのび できる場所と考えられないでしょうか。背後に大きな山を背負い、三方にも小高い尾根の連なり を見る平地。いかにも、安心して気持ちよく暮らせそうではないですか。風水理論を生かした建物というと、私は台北の国立故宮博物院を思い出します。パリのルーブ ル、ニューヨークのメトロポリタン、サンクトペテルブルグのエルミタージュと並んで世界の四

大博物館に数えられるここは、建物が左右対称のつくりとなっており、門から建物に至る空間にはゆったりとした広場があります。風水はすべての物事を。陰と陽”。表と裏”と一対で考えます。主体と対象、男と女、作用と反作用、考えてみるとこの世にあるものはすべて対をなしているのです。その考えを建物に取り入れると、シンメトリーに対称を描くようになります。

蒋介石を記念して建てた「中正紀念堂」もまた、左右対称の広々としたつくりが特徴です。中山南路に面した正門の大アーチ。大中至正”をくぐると右手に国家戯劇院、左手に 国家音楽廳があります。そして中央広場正面にひときわ堂々としたたたずまいを見せる白亜の建物が、中正紀念堂です。二十階建てのビルに相当する台湾最大の公共建築物です。左右の建物に守られるように建てられたここに立った私は、大きな”気”がたちこめているのを感じずには いられませんでした。偉大な指導者であった蒋介石は、現在に至っても台湾のシンボルとして国を守り、その発展を願っているのでしょう。

その台北にある道教の本山「指南宮」は、台北の南東へ十ニキロ行った木柵にある、台北の龍穴(気のエネルギーの満ちるところ)に見事にピタリと建てられています。龍穴はまさに気の発生する場所ですが、だからこそ扱い方が難しいのです。前にも触れましたが、そのパワーは強大 で、一般の住居や社屋を建てる土地としては危険です。その神聖なエネルギーは、神仏などの人知を超えた存在や、城などのように公的な意味合いをもつものにこそふさわしいといえます。龍 穴に土地の神を祀ったことで、その神に護られる台北は都市としての発展を約束されたも同然でしょう。

また、住居やビルの正面に、二つの建物の間にできた空間がポッカリと現れているのを『天斬殺』と呼び、忌み嫌います。天からまさかりを振り下ろされたあとのような不吉な情景だからです。人が自然と心地よく共存できる土地(環境)の見定め方と、人が大地の気をたっぷりと受け取れる建物のレイアウトの方法を教えてくれるのが風水です。風水を理解することは、自然の恩恵を最大限に活かす地理・造形を学ぶことにあるのです。

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